青じそ漬けてみました

いつのまにやら8月になりました。
のろのろ台風が各地で暴れていますね。
まだ風がごうごう唸っていますが
どうやら大きな被害はなさそうです。ほっ(;O;)

こんな日は自宅で作業。
夏といえば、大葉。何の料理にも、大葉。
な!私の大好きな大葉こと青じそが主役です。
ほんとは色々せなあかんことあるけど現実逃避っちゅうことで
ずーっとやってみたかった、青じその千枚漬けを作ってみました。

きっかけは、青じそを野菜庫で保存していたときのこと。
たった一日だけなのに、水分が出てしまったのか、青黒く、もにょもにょした状態になってしまいました。どうも保存には向いていないよう。
その折たまたま出会ったのが、これ。

青じそで…千枚漬け……?!!

かぶの千枚漬けは聞いたことがあるけれど、青じそは初めて。
それはもうチャレンジあるのみです。

まずはしそを水に晒して…
柔らかく、傷が少ない葉を選びます。
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「ちょっとでも傷みかけの葉があると、全体も傷みやすくなるのよ」

これは、むらの農家さんのほうれん草の選別作業のお手伝いをしていて教えてもらったことです。
ほうれん草では、ちょっとでも色あせているものがあればピッと除いてやります。
一番気をつかうし、時間がかかる上、機械化の難しい作業だけれど、鮮度を保つには必要不可欠。
朝早くから夜遅くまで、集中力を切らさずに選別をするのは大変な仕事です。初夏から冬まで毎日続けてらっしゃいます。

ほうれん草に限らず野菜全般に言えることなんだろうと思います。傷みがあってもそこを除いてやれば長持ちするし、逆に、傷みを甘く見ていると早々とだめにしてしまう。ひとに届く一番手前の段階だからこそ、選別の作業って一番緊張するんだろうなあ。経験則でしかないけれど。

お漬物は保存する期間が長いもの。手間はかかるけれど、葉の表も裏も丁寧に見ないとなあ。
時たまこんなものも。
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何の卵やろう?

選び終えたら水をしっかり切って、タッパーへ。
一面並び終えたら、塩を振ってまた一面埋め尽くして…の繰り返し。
これで一晩。アクを抜いてやります。
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重石代わりに「小夏じゅーす」を。笑(ゆずっぽいような、甘夏っぽいような小夏の味が美味しい!夏におすすめなジュース。)
こういうのは、なるべくあるもので代用してやっちゃうルースな性格です。

一晩置けば、水分が出るようなのでペーパー等で除いてやって、
ひたひたの醤油に漬け込むだけ。
これでお寿司したら美味しいやろうなぁ…1ヶ月くらい待つそうな。

調べてみると、宮崎県の伝統料理で、味噌に漬け込む千枚漬けもあるそう。

こっちが本家やろうか。ばあちゃん達の笑顔がまぶしい…!
下処理は同じ、漬け込み期間が半年とちょっと長そうだけれどやってみるかな。

ちなみにちなみに、大川村のおばあちゃん達は青じそのことを
「青草(セイソウ)」と呼びます。
昔は地で育つのは紫色の紫蘇しか無かったそう。
そのため、「紫蘇」というと紫色の方を指すことになっています。今じゃどちらも野生でそこらじゅうに生えているんですが。。。
どのようにして持ち込まれたかを調べるのも面白いかもしれんなぁ。
おばあちゃん曰く、セイソウの実を醤油漬けにすると美味しいそうな。秋ごろ収穫してやってみよう。(しその保存食品ってどれもお酒のおつまみっぽい!!)楽しみだな〜


こう、家で作業するのは頭がスッキリするので好きです。
日々むらの人からいろんなことを聞くのですが、忘れていることもあったり。
作業の最中、声や顔とともにふっと蘇る瞬間は心地が良い。
新しく「○○聞いてみよう!」って意欲も湧いてくる。
当たり前だけど、アウトプットあってのインプットだなあと思います。こんな時間も大切にしたい。
次雨降ったら、何しようかな。


【その後】

先日頂いたみょうががあったので
ついでに味噌漬けにしてみよ〜と水を出していたら…

うすら濁った水が!これはやばい。
(私の住む集落では沢から直接水を引いているので、大雨が降ると泥が混じって濁ってしまうのです)

(そうだ…ゆきちゃん(この前知り合ったおばあちゃん)に聞いたあれ、やってみるか!)

引き出し開いてガサ、ゴソ。
…できたー!
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何か伝わるやろか?
お茶パックを二重に重ねて蛇口にくくりつけるだけ。
これでゴミは除けるのよ〜とゆきちゃんが教えてくれたのです。

しかし…
20秒も経たぬうちに、これ。
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茶色いのは泥やゴミ。これじゃすぐ変えないかんし、キリがない。
うーん、相当荒れてるんだな。
こういう時は水源地(沢水の採取地)に行って、採水口の掃除や水を貯めるタンクの掃除をするのだけれど、足元が悪いと危険なのでしばらくは厳しそう…。

今回は台風対策の汲み置き水があったのでなんとかなりそう。
やけど…いつまでもこれは大変。早くお天気になるといいなあ。


あべな

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# by sea-723 | 2017-08-07 17:42 | たべもの | Comments(0)

3ヶ月を迎えて

耳が良くなった、とか
匂いに敏感になったとか
大阪弁と土佐弁とが混じってきたとか

日々いろんな変化がわが身に起こってる。

中でも大きなのは、
休みの日でも地域に出るようになった
ことかもしれない。

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夏が来た

私は引きこもりがちな性格だ。
身体的にも精神的にも。

しんどいことがあると家に篭ってしまうことが多いし、すぐに自分のせいにしてしまう。
「私が悪い」って言えば、自分の中で割り切ればいいことだから。あれこれ他人と言い争うよりよっぽどそっちの方がラクなのだ。


そんなだから、最初の方の休みはずうっと家にいた。それなりに人との距離感には気を遣うから、知らず知らずのうちに疲れは溜まる。時々ある悲しい出来事も含めて、それらは自分のなかで消化するべきものと思っていた。

けれど、いつしか考え方が変わるようになっていた。

『活動していて辛いこともあるけれど、喜びを与えてくれるのもまた、活動なのだ』

嫌〜な噂話を聞いて、落ち込んでいる日。
己の力不足を感じてもやもやする日。
運転中ヒヤッとする場面があってへこたれてる日。

そんな時、元気を与えてくれるのもまた活動だった。

定期的にある俳句会やカラオケ会。
月一回以上はある、地域のイベント。
仕事終わりに開かれるソフトバレー大会。
若者が集う青年団。
運転中、すれ違ったら手をってくれるおじちゃんおばちゃん。
「なっちゃん遊ぼ!」と駆け寄ってくる子どもたち。
突然かかってくる「○○いらん?」って電話。
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夕涼み会にて。親も子も地域の若者も一体感あってすごくあったかい空間だった

緑のふるさと協力隊はその特性上、活動と休みの境界がすごく曖昧だ。
生活と活動が分かち難く結びついてるから、公私の別がなくてしんどくなってしまうこともある。けれど、心を軽くしてくれるときもある。

それに気づいて以来、仕事終わりや休みの日も進んで地域の催しに参加している。これって、ヒッキーな私にとってすごく大きな進歩なのだ。
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私はどこでしょう

私は、この村が、そこにいる人が本当に好きだ。
だからこそ、彼らが作る居場所や時間をもっと信頼したい。それはまたある種の勇気なのだと思う。


7月は悩める月だった。
「私ってここにおってもええのかな?」
「迷惑かけてるだけちゃうか」
「私のやってることの意味ってなんなんやろ」
そう思うことは一度だけではなかった。

結局、どれだけ悩んでも
『目の前のことに愚直に取り組む』
ここに返ってくる。

理由や意味はきっとあとからついてくる。
今回だってそうだ。
ひたすらにがむしゃらに活動しているうちに、あちこちに居場所ができていて、それが心の支えになっていた。
こんなに嬉しいことって、ない!
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子どもキャンプの夜

私の活動はきっと、華やかではないし、地味なことかもしれないけれど、ひとつひとつを大事にしていこう。そして変化を楽しもう。そう思う。


8月は子どもキャンプに、ビックイベント·若葉ののふるさと協力隊がある。どんな人と出会うんだろうな。体力勝負だけど、ひとつひとつ楽しんでやってこう。
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あべな
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# by sea-723 | 2017-07-26 18:13 | Comments(0)

わが家は梅まつり



ここ数日、ずうっと小雨と曇りの繰り返しで、ようやく梅雨らしくなってきました。

紫陽花も今が盛りです。

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写真出しといて、紫陽花とはなんら関係ないのですが、うちには大量の梅があるんです。

その量、全部でおよそ12キロ。一人暮らしやない、この量!(笑)

いっそこれは…「梅まつり」と称して色々遊んでしまおう。

せっかくなので、今日はそのお披露目をさせてください。

何と言っても梅は大好物。熱く語っちゃうぜ!とりゃっ!



【作ったものたち】

・梅酒

・梅シロップ

・らっきょ漬け

・甘露煮

(これらに加えて、酢漬けと紫蘇漬け、梅酒から引き上げた梅がうちにある。これらはおすそ分けしてもらった。)


意外とどれも簡単にできるもので。

むらのみんなが「世話ない(=めんどくない)わね」と言って作るのは「らっきょ漬け」

らっきょう酢に梅を漬けるだけ!1ヶ月くらいから食べられるのかな。

塩漬けにしない分、しょっぱくなくて、程よい酸っぱさ。

夏場のおやつにちょうどいい感じのあれです。


梅酒は間違いなく、ブランデーで。酒屋さんも、梅農家さんも口を揃えて言うから間違い無いんだろうな。

と言いつつも、いつか本みりんでつけるのが密かな目標。香りがふくよかになってたまらんそうな…

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熟成させるほどに美味しくなる


私の一番好きなのは、甘露煮


なぜなら作るのが楽しいから。

作り方は簡単、梅に2・3箇所穴を開けて、梅と同量(減らして6・7割かな?)の砂糖を入れて炊飯器で保温するだけ。

6時間もすれば砂糖が溶け、梅に味が染み渡っています。

何が一番好きかって、その香り!保温中の炊飯器から漏れてくる香りは甘酸っぱくてたまりません。もちろん梅自体も甘酸っぱくてたまらない。アイスと合いそう。

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むわん、と立ち上る香りがたまらんのです


梅のエキスがたーっぷり滲み出たシロップは、別容器に保存しておくと使いやすい。

何に使うかって…?


まずは、料理。煮物の砂糖がわりに使えば、梅の香りがちょっとついて口当たりが軽くなる。

それから、ジュース!サイダーで割るとたまらん。かき氷にかけてもいいね。


不動のNo.1は、牛乳で割ること!

「え、ミスマッチやろ!ないない」と決めつけることなかれ。

よ〜く混ぜると、そのうちとろみが出てきます。いい塩梅という証拠。

口に含んでみてください。…驚き!ヨーグルトみたいな風味になってるんです。

(ちなみに梅酒を牛乳で割っても同じにはなりません。アルコールで分離しちゃう。)


これは、和歌山の梅農家さんに教えてもらった楽しみ方で、農作業の休憩にいただいていました。これがまた美味しいのなんのって。最高のおやつなのです\( ˆoˆ )/


もちろん、甘露煮じゃなくて氷砂糖に漬けて作った梅シロップでも楽しめます。

でも甘露煮にしたら梅もシワシワにならないし、一日でできるし、そちらの方が私は好きです。


今回も、12キロのうち4分の1くらいは甘露煮にしました。村のおばちゃんたちはだいたい梅酒か梅干しにしているようで、甘露煮を作るよ〜と言ったら珍しがってくれたので、おすそ分けしようと思っています。普段いっぱいものもらってるからなあ。。


どんなリアクションだろうな。想像するだけでワクワクしちゃいます。


ちなみに、この梅たちは農園で育てているものではなくて、道端や家のわきっちょに生えている梅の木からおばあちゃんたちが摘んでくれたものです。


その分だけでもこんなたくさんのものができる。春の花として身近な梅だけど、食卓にとっても、も〜っと身近な存在なんじゃないかなと思ったのでした。


香りもいいし、ころんとした形も可愛いしで、梅仕事は本当に楽しいです。

そしてその楽しみをばっちゃまを始め、他の人と共有できることに喜びを感じます☺️


来年もいっぱいするぞ〜!

…と、宣言する前に、もうひと作業が…。

実はまだ1キロ強の梅が残っているのです。笑

これらは煮て、梅味噌とジャムにする予定。


(梅味噌のレシピを調べていたら、「食の変態」(いい意味で)と大学の先生が讃えていた小泉さんのページに出会ってしまった。これは他のページも見応えありそう…)


夜な夜な梅仕事コースかな。香りに満たされて、今夜も幸せいっぱいのまま眠れそうです。



あべな



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# by sea-723 | 2017-06-29 23:15 | 大川暮らし | Comments(0)

こんばんは!あべなです。

前回のブログは大反響をいただきました。たくさんの応援や思考のタネをもらってとても嬉しかったです。

中でも一番嬉しかったのは、むらの人から直接感想をもらえたことでした。

長いよ〜って文句とか、ダメ出しとかくるかなあって思っていたけれど、

にこ〜っと笑って「よかったよ」と言ってくれるものだから、、涙が、、、。


より一層、このむらが好きになりました。

微々たるものだけれど

文章を綴り、重ねることで、むらの「素」のすがたをーあたたかさを伝えてゆこう。

心新たに、記事を書いています。


***


さて、話は変わりますが、

最近の私はというと、体調を崩しがちです…。

胃痛やら頭痛やら…休みの日ならまだいいのだけれど、活動の日となると、困る。

もともとスタミナ自慢のはずなのに、、、


うじうじ考えてるうちに、ある人から言われたことを思い出しました。

「100%でなく、80%くらいの力でコンスタントに活動することが大事だよ」

協力隊のサポートをしてくれている緑化センターの人からもらった言葉。

そうそう、そうやった。忘れがちなんだよなあ。


小・中・高ではずうっと「頑張ることが正義」「100%の力で頑張らないのはあかんたれ」みたいな風潮で、100%でない人はサボりか、超人なんだろなと思っていた。


でも最近思うのは、それだけが全てではない、ということ。

その20%の力で全体像を捉えたり、英気を養ったり、「頑張る」80%の力を支えることだって大事なんじゃないかな。

協力隊の活動なら1年、人生なら何十年、頑張り続けなければいけない。

長期戦になればなるほど、そういう考察力やコンディショニング能力が求められるんだと思う。


そう思ったきっかけがお百姓さんでした。


お百姓さんはすっごい働く。本業の畑の作業だけじゃなくて、鶏のお世話に料理・家事、道の掃除に…そりゃあもう、沢山。

でも力が抜けている。一緒にいても心地がいい。切羽詰まったような息苦しさは感じない。


たぶんそれは、ちょっと余裕のある頃合いの休憩とか、「遊び」=好きな作業を取り組んでみるとか、鳥の声や空の移ろいを楽しむことを大事にしてるからなんだろうなあと思う。心のゆとり。


お百姓に休みはない。でも、彼らはいつもよく働く。

それは、その力の使いようをうまく得てきたからなんだろな。

「80%の力で頑張る」こととも通じるように思う。


じゃあ、

と翻って考えてみる。80%の力で日々頑張るため、残りの20%でできること。


例えば寝ること、本を読むこと、歌うこと。

ああ、そういえばもらった小豆、余ってたなあ…梅も採ったまま冷蔵庫にあったはず。

小豆はぼちぼち虫が湧いてくるって聞いたし。手仕事するかあ。


そう思ってあんこ炊きました。


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小豆を踊らす。これがミソ。

その合間に梅も下処理。こないだ買った新生姜も甘酢漬けに。

(梅はらっきょ漬けにする予定♪)

う〜〜〜、グレイト!


レシピはこれ。


愛し懐かしの御座候。レシピ出してたなんて…!!

意外と手軽にできるもんで。つぶが立った好みのあんこができて幸せな気分になりました。今度近所のおじちゃんにあげようかな。


こういう季節の仕事は、アク抜きが必要だったり、ずっと火にかけていたり、手間がかかるものなのだけれど、それだけに没頭できる分、頭がシャキッとするように感じます。

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つやつや、ほろほろ

仕事を終えて「ふぅ〜〜〜」と一息つけば、あら不思議、頭も体もらく〜になっているもの。ずっと溜め込んでた課題も片付く片付く!


久しぶりにすっきりした気分になりました。

確かにこの1ヶ月くらい、せわしなかったもんなあ。

想像以上のインプットとアウトプットの繰り返しで自分の時間をあまり持ててなかったな。

「このままじゃいかんよ〜」って、体がちゃんとシグナル出してくれたんやろうな。


7月はさらに忙しい予感!

頑張りどきに頑張れるように、力の使い方も考えていきたいな、と思った日曜日なのでした。


ps

実はあんこを始め豆オタクなのですが、河瀬直美監督の「あん」という映画、あんこの映し方が官能的なまでに美しくてたまりません。ため息出ちゃいます。ご参考までに。


あべな



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# by sea-723 | 2017-06-25 23:35 | 大川暮らし | Comments(0)


梅雨のはずなのに晴天が続く、大川村です。

今日は、いま話題になっている、議会のこと…をちょっと違う角度からお話ししたいと思います。

報道の在り方に対して思うこと、そして行政との向き合い方に関して思うことです。

取材をしてくださった方だけではなく、村の人、そして関心を寄せてくださっている人に向けても書いているつもりです。

写真も少ないし、文章が長くなります。拙い文章ですが、どうぞおつきあいください。


もくじ

1)報道の「現場」で感じた違和感

2)伝え手にとってのメディア、受け手にとってのメディア

3)今回の件でいちばん大切なこと

4)変容する田舎

5)終わりに


***


1)報道の「現場」で感じた違和感


5月初めに表明された「町村総会の研究を始める」という出来事で、大川村の名前が広く知られるようになりました。

その手段として大きな役目を担ったのが、メディアです。

現行の日本の民主主義の在り方が問われる重要なケースとあって、多少、センセーショナルな言葉で報道がなされました。

表明以降、毎日のように記者の方が来村されています。特に、議会での正式表明をなした今週の初めには、17社(私の聞いた数字では)もの記者の方が来られていたそうです。小さな役場はもう人がいっぱい。異様な雰囲気が漂っていました。


結論から言うと、今回の報道の中には、村民の意に沿わないものが少なからずありました。


「ほんとうにこの人たちは私たちのことを思って報道してくれているのかな」

と思ってしまいました。


取材の中で、感じた違和感。

「ああ、この人たちは脚本を用意していて、その実証がほしいんだな」

その原因は、ここにありました。


「元気すぎるからもっとしんどそうに歩いてください」

記者からそう言われたおばあちゃんがいたそうです。

いつも通う坂道を上るカットを撮るときのこと。


「町村総会を実現するならば、村民の、特に高齢者の移動が困難だ」という課題があります。

それを画で示したかったのでしょう、いつもはすいすい上る坂道を、10回以上歩くことになったそうです。

彼女は80歳を超えていますが、ここで暮らしてきた人たちの足腰をなめちゃいけない。今でも自分の足で山を登り、下り、移動をします。


「自分のありのままの姿ではなく、「高齢者のイメージ」を押し付けられたような気分になった。悲しかった。」

と、語っておられました。


私自身も悲しい思いをしました。

夕食の時間、あるお家にお邪魔していた時のこと。家族のだんらんの様子を撮りたいから、とTVの取材の方が急遽訪ねてこられました。

そこで告げられたのが、「あなたは映らないでください」ということでした。

親族でもないし、まだ来て間もない移住者だし、画的に説明しづらいから入らないで、と。

その場でも悲しかったけれど、ニュースの映像を見るとやっぱりショックでした。見事に全部私が映らないように編集されているのです。

「だんらんの風景でさえもこんなに意図的なんだ」と。

(放映直後、わずかに映った手と笑い声だけで「あれ、あんたやろ」と母が連絡してきたのにはびっくりしました。母は偉大だ……笑)


なにも、映らなかったこと自体が悲しいのではありません。

取材の人たちが、実際の村民ではなくて、「脚本の中の村民たち」を見ていたことが悲しかったのです。


私は、人はお互いの存在を認め合うことで喜びを感じると思っています。その現象の一つが「言葉のキャッチボール」でしょう。的を得ない会話や、相手が自分のことばかり話す会話は楽しいものではありません。「それどうゆうこと?」など、相手と共に作っていく会話こそ、新たな発見や感情が生まれるものだと思っています。もちろん、多少の例外はありますが。


形はちょっと違うけれど、その取材も「キャッチボールではない会話」でした。

カメラがない時にはその人たちとも楽しいだんらんの時間を過ごしました。…だからこそ、作為的なあの場面がとても悲しかった。


他にも、「あくまで村総会の設置を検討し始める」なのに、「議会廃止へ 村総会設置」など今にも議会を廃止するかのような見出しが躍っていたりと……それは違うよ、と言いたくなることは、いっぱいありました。


むらの人と喋っていて知ったのは、

その状況は違えど、「脚本通りの画や言葉を求められる」ことで寂しく感じた村民は少なくない、ということでした。村のほんとうの姿を見ようとしているように感じなかった、と。

今回の報道は、メディアによって「田舎」の負のイメージが色濃く作られていたように思います。



2)伝え手にとってのメディア、受け手にとってのメディア


でも。

だからと言って「メディアはだめだ!」とか言いたいんじゃ、ないんです。


今回の報道(特に今週初め)の多くは、その日や翌日のうちに流れるものだったと認知しています。

収録してから編集、確認…放映までにどれほどの時間がかかるでしょう。その日のうちに流れたものだからその早さにびっくりしてしまいました。


ニュースは瞬発力が求められるもの。

そりゃあ脚本だって必要なはず。


予想を越える部分に言及する間はないんじゃなかろうか。

私たち村民の考えが予想を越えるものではない、ただそれだけなのかもしれないけれど。


一方で、まだ記事にはなっていないけれど、「村民のことをもっと知ったうえで、議論をしてみたい」と足しげく通ってくださる記者の方もいらっしゃいます。「取材云々じゃなくて、ただ雰囲気が好きで…」と、暑くて大変な草刈りのお手伝いにも来てくださいました。

今回の取材でも、「あ、キャッチボールできた!」と思う記者や大学の先生もおられました。

彼らはきっと、また来てくれると思います。議会のことが収束した後でも。


報道に関わる人でも、いろんな立場の人がいらっしゃいます。


結局、私が言いたいのは、

「ほんとうのことは、自ら触れてみないとわからない」

ということです。


客観的な報道というのは存在しないと思います。

事実に触れていたとしても、どれを切り取って編集するかはその人の目線にすぎない。それが同時に「味」になるのだと思います。


なるべく、取材対象の内なるものを取り込める、そんなメディアであってほしいなと思うし、今回取材に来られた方にも考え直してほしいところはあります。


だけれど、やはり限界はある。

取材を受けてみて私自身も学びました。

「報道の受け手も努力をしなければならないのだ」と。


受け取る努力とはつまり、想像するちからのことです。

この情報の発信者はどんな人なんだろうとか、どんな意図をもって物事を見てるんだろうとか。使ってる言葉、使ってない言葉はなんだろう、とか。

ニュースだって人間の伝えるものです。伝え手によって見方が異なるものです。

事実に近づくためには多角的にものを見る必要があります。いつまでも受け身ではならんのです。


たった400人の村、たかがひとつの村。

それだけでも様々な切り口があるのです。

どうか、この記事を読んでくださっている方にも、大川村に関心を持ってくださっている方にも、知ってほしい。報道で見る大川村だけが大川村じゃないのだと。



3)今回の件でいちばん大切なこと


もちろん、一番大事なことは報道の内容ではありません。

私たち村民自身が、議会のことをはじめ、村政の在り方を問い続けていくことです。


大事なのは結果よりもそのプロセスでしょう。


そもそもこの話が持ち上がったのは、「行政や議会に対する村民の関心が薄いのではないか」という危機感からでした。議会の在り方という、いささか大きなテーマを通して民主主義の「主人公」である村民自身の参加「意欲」を問うたのです。


これは何も「過疎の果て」だから言えることではなくて、どこの自治体、あるいは日本という国レベルでも言えること。

人口の多いところにはある程度、「議員、やります!」という人がいます。行政に対して働きかける人もいる。でも、それを「自分には縁のないことだ」と言って、時に冷ややかな目で見ている人のほうが大勢じゃないかな。

それには、いろんな要因があるから一概に言えないけれど、議会や行政が遠く離れたところにあるからでしょう。


そういう意味では、400人という少ない人口で物事を考えなければならない、大川村ないし過疎の地域では、「手触り」をもって行政に関わることができると思います。


私はそこに、可能性を感じます。

議会が存続するにせよしないにせよ、もっと村民をinvolve(内包)した村づくりができるんじゃないか、と。

本当はみんなが議員です。

それが、特に規模が大きくなると大変だから、選挙で代表者を決めて議論を委託したのがいまの「議会制民主主義」の成り立ちです。

本当は、仕事とは別にふだんの生活の中に取り込まれているべきもの(ヨーロッパでは議員は無報酬だとか、夕方から議会を開くところもあるそうです)。

意識から、問い直していくべきところも大いにあると思います。



4)変容する田舎


ご存知の方も多いと思いますが、近年、若者を中心に田園回帰が進んでいます。

これは、私が大学での学びの中で得てきた見識ですが、

田舎はもはや、かつての田舎ではありません。

それぞれが特色を持つ「舞台」になっていると感じます。


昔は「華がない」「夢がない」、ないない尽くしだと言われました。

それはいまもあんまり変わってないかもしれない。都会と比べると。

だからこそ人々は、そこに向かうのです。

ないところからつくろう、と。ものなり仕事(産業)なりを。


望めば大体ものもコトも手に入ってしまう時代、私たちは生み出す喜びから遠ざかって生きてきました。

全身で考え、試行錯誤する。結果よりもそのプロセスに喜び―生きがいがあるのだと思います。

(政治のことだってそう。離れてしまっていたものを取り戻す、その過程にやっぱり喜びはあるのだと思います。)


そういった外からやってくる人を見て、中の人も変わってきていると聞きます。

具体的な話になるので割愛しますが、変わっていく田舎の話はたくさんあります。


話は戻るけれど……

田舎の見方がちょっとでも変わればいいなと思います。

中にいる人も、外にいる人も。

「過疎=元気がない=限界」の図式を崩したい。

地道だけれど、愚直にむらのことを知り、発信し続けることが大事なのかなと思います。



5)終わりに


「過疎の限界」とか言われているけど、大川村はちっとも限界じゃない。そう思います。


人数が減ったのも、白滝鉱山の閉山や早明浦ダムの建設で大量転出したという過去があります。「作られた過疎だ」と唱える人もいる。暮らしはちょっと不便だけど、「ここの暮らしがいい」と選んで住み続ける人がいる。

世代を超え、元気な人がいっぱいいる。山で育ったおじいちゃん・おばあちゃんは足腰が強くて超元気だし、若い人も年々増えている。お祭りなど行事はみんなで準備し、楽しみ、片付ける。村のことも、このままじゃいかんね、といつも考えているし、なにか発案すれば「手伝っちゃろ」と力を貸してくれる人もたくさんいる。


そういうイメージは議会のこととはまた別かもしれない。

でも、それがあるからこそみんなで一丸となって模索できるんじゃないかと思います。


私自身はまだここに住んでわずか2か月しかない。知っていることも少ない。

そんなお前がとやかく言うな、とも言われそうだけれど、、、どうしても著したかった。これでまた新たな議論が生まれたら、それはまたいいことなんだと思います。

まだまだ勉強不足だし、村の意見の100%は汲めていないかもしれない。

でも、一連の報道が始まって以来ずうっと考えてきたこと、村の人と話して思ったこと、一意見として、踏み込んだことを書かせてもらいました。


謙虚に、時に大胆に。

村民のひとりとして、私もいっぱい勉強したいと思います。


読んでくださってありがとうございました。

どうか、大川村のこと、温かく見守っていてください。


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緑のふるさと協力隊

阿部夏海



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# by sea-723 | 2017-06-15 20:48 | 大川暮らし | Comments(0)